現行の小学校から大学までの履修年月6・3・3・4年という学校制度は、戦後採用されたものです。その他大きく変わった点として、進学指導を学校内で実施しなくなったことかもしれません。いきおい保護者はそれも「塾」に求めるという需要が生まれたと言えるでしょう。戦後復興の勢いは止まらず「ベビーブーム」が起こり、高度成長期へ突入していった時代背景も、塾業界にとっては大きな「追い風」となっていきました。その前から、名門校への中学受験という需要はありましたが、それは一部にすぎないといっていいでしょう。それが中学校の義務教育化で中心が高校受験へシフトしていったのです。更に企業の首都圏集中で地方の若者は都会へ出てくるため、学歴重視の機運が一気に高まっていきました。高校進学率でみると、1950年の42%が1975年には90%と大半の子供が高校へ進む中で、社会へ出てからの地位向上に学歴の優位性は欠かせないものとなっていったのです。いきおい教育に対し熱心な保護者が増えていくのは、ある意味自然の流れであったのかもしれません。そのような時代背景をもとに塾が全国的に開かれていったのも需給バランスという意味でも自然と言えるのではないでしょうか。1977年に「乱塾時代」という言葉が生まれ、また東京都の「学校群制度」導入とも相まって、突然塾が増えていったのではなく、自然の流れの中で単に全国規模で行われるようになった結果でしかないと言えるのかもしれません。もともと教育に熱心である、という日本人気質を持つ親心も働いているでしょう。乱塾という言葉と共に「塾は悪」などと一部でささやかれていた悪いイメージを払拭させるがごとく、現実は一層の塾業界拡大へと進んでいったのです。